4月16日からの記録

いつもの週末どおり家飲みをして余震の不安を紛らわせ気持ちよくベッドの中に入る。30分くらいしてウトウトしてたころにまた揺れた。…と思ったら掻き回された。停電した。物凄い力で隣にいる夫にしがみつきながら収まるのを待った。時間の感覚が狂ってしまって、とても長い時間がかかったような気がした。天井が落ちてくるかもしれない恐怖、この世の終わりが頭をよぎる絶望感、すぐに外に飛び出すなんてできなくて、布団を頭まで被ってじっとしていることしかできなかった。
強い揺れが収まって電気が復旧したので、地味な揺れがちょこちょこ続く中、大事なものを思い付いただけ複数のバッグに詰め込んで車に避難した。テレビやネットで情報収集しながら朝まで過ごした。市役所の建物が崩れそうとか、阿蘇大橋が落ちたとか、阿蘇神社が潰れてしまったとか、そんなのデマじゃないのと思いながらいつの間にか眠ってしまった。

それからの記憶は曖昧だ。
何も心配することなく気の赴くままに一日を過ごすことがものすごく尊いものになってしまった。ウトウトしてそのまま眠りにつくことができなくなった。物音に敏感になりすぎて、ドアの開け閉め音さえも恐怖の対象になった。地震から数日後に買い出しのため行った隣の県ではいつもどおりの生活が営まれていることにホッとした。コンビニやスーパーや飲食店の店員さんが神様のように見えた。何を食べてもご馳走だった。「災害支援」と書いた幕を付けた自衛隊の車両を見かけるたびに涙が出そうになった。1週間くらいは家の中で寝るのが怖くて自宅前の駐車場で車中泊した。耳にイヤホン突っ込んで、好きな音楽をエンドレスで流して。揺れ続けるこの場所にいるのが耐えられなくて、できるだけ遠くに車を走らせた。遠くに行けば行くほど戻りたくない気持ちが強くなり、気分転換になったのかなってないのかよくわからなかった。
いつの間にか4月が終わった。

5月になって心も身体もようやく落ち着いてきた。ただ、本震のときのことを思い出すのは辛いし、被害が大きい場所のことをまだ現実のものとして受け入れられないでいる(よく通ってた場所なので今からでもそこに行けば、何事もなかったように穏やかな風景が広がっているような気がして、それを幻想だとは思いたくない気持ち)。
地震は怖い。これからもしばらく揺れ続けるだろう。いつ揺れるかビクビクしてもしなくても、揺れるもんは揺れる。だったら気にするだけ損。寝不足になったり体調崩したり未来を悲観したからといって揺れが収まるわけじゃない。すごく損してる。余震に警戒するというのは不安になったり心配したりすることじゃなくて、いざというときにすぐ逃げられる準備とか、壊れやすいものや重いものを不安定な場所や高所に置かないとか、断水したときのために浴槽に水を貯めておいたりミネラルウォーターを数ケース買って置いておくとか、保存のきく食べ物を蓄えておくとか、まあそういうこと。ってやっと気づけた。ほんと気持ちが楽になった。

幸せとはわかりやすい派手なイベントではなくて、気がつけばそこにあるもの。あとからそうだったと気づくもの。よく言われることだけど、この半月であらためてそれを強く感じた。
悪い夢のような出来事は、決して悪いものだけをもたらしたわけじゃなかった。そう心から思える日がはやく訪れますように。