ブログに戻る

久しぶりに、それこそ何年ぶりや?ってくらい久しぶりにログインしたら、こんな弱小放置ブログにもちょこちょこアクセスあっててびっくりした。 前回の記事が熊本地震のときで、あれから3年も経ったのだなあと思いながら、あらためて自分で書いた記事を読み返した。

昨年の夏に熊本から兵庫に引っ越した。移り住んでしばらくは、地に足がついていないような気がしてどこか居心地の悪さを感じていたけど、今はもうすっかり慣れてしまった。

ここのところTwitterももういいかな…って感じていて、昔のゆるい、しょうもないことで笑えるような雰囲気が好きだったんだけど、特に最近読んでて疲れるようなツイートが増えていて、バズりたくて過激なこと言ってみたり嘘ついたり、あらゆる方面に向かって怒ってる人とかがやたら目について、何かツイートしようと思ってもタイムライン流し読みしたらお腹いっぱいになって、そっ閉じするようになった。

それで、ブログに戻ってきたわけです。過去のことを振り返りながらゆっくり書けるし、ひとつのところに雑多なことを書いてもカテゴリ分けできるからブログはいいよね。

4月16日からの記録

いつもの週末どおり家飲みをして余震の不安を紛らわせ気持ちよくベッドの中に入る。30分くらいしてウトウトしてたころにまた揺れた。…と思ったら掻き回された。停電した。物凄い力で隣にいる夫にしがみつきながら収まるのを待った。時間の感覚が狂ってしまって、とても長い時間がかかったような気がした。天井が落ちてくるかもしれない恐怖、この世の終わりが頭をよぎる絶望感、すぐに外に飛び出すなんてできなくて、布団を頭まで被ってじっとしていることしかできなかった。
強い揺れが収まって電気が復旧したので、地味な揺れがちょこちょこ続く中、大事なものを思い付いただけ複数のバッグに詰め込んで車に避難した。テレビやネットで情報収集しながら朝まで過ごした。市役所の建物が崩れそうとか、阿蘇大橋が落ちたとか、阿蘇神社が潰れてしまったとか、そんなのデマじゃないのと思いながらいつの間にか眠ってしまった。

それからの記憶は曖昧だ。
何も心配することなく気の赴くままに一日を過ごすことがものすごく尊いものになってしまった。ウトウトしてそのまま眠りにつくことができなくなった。物音に敏感になりすぎて、ドアの開け閉め音さえも恐怖の対象になった。地震から数日後に買い出しのため行った隣の県ではいつもどおりの生活が営まれていることにホッとした。コンビニやスーパーや飲食店の店員さんが神様のように見えた。何を食べてもご馳走だった。「災害支援」と書いた幕を付けた自衛隊の車両を見かけるたびに涙が出そうになった。1週間くらいは家の中で寝るのが怖くて自宅前の駐車場で車中泊した。耳にイヤホン突っ込んで、好きな音楽をエンドレスで流して。揺れ続けるこの場所にいるのが耐えられなくて、できるだけ遠くに車を走らせた。遠くに行けば行くほど戻りたくない気持ちが強くなり、気分転換になったのかなってないのかよくわからなかった。
いつの間にか4月が終わった。

5月になって心も身体もようやく落ち着いてきた。ただ、本震のときのことを思い出すのは辛いし、被害が大きい場所のことをまだ現実のものとして受け入れられないでいる(よく通ってた場所なので今からでもそこに行けば、何事もなかったように穏やかな風景が広がっているような気がして、それを幻想だとは思いたくない気持ち)。
地震は怖い。これからもしばらく揺れ続けるだろう。いつ揺れるかビクビクしてもしなくても、揺れるもんは揺れる。だったら気にするだけ損。寝不足になったり体調崩したり未来を悲観したからといって揺れが収まるわけじゃない。すごく損してる。余震に警戒するというのは不安になったり心配したりすることじゃなくて、いざというときにすぐ逃げられる準備とか、壊れやすいものや重いものを不安定な場所や高所に置かないとか、断水したときのために浴槽に水を貯めておいたりミネラルウォーターを数ケース買って置いておくとか、保存のきく食べ物を蓄えておくとか、まあそういうこと。ってやっと気づけた。ほんと気持ちが楽になった。

幸せとはわかりやすい派手なイベントではなくて、気がつけばそこにあるもの。あとからそうだったと気づくもの。よく言われることだけど、この半月であらためてそれを強く感じた。
悪い夢のような出来事は、決して悪いものだけをもたらしたわけじゃなかった。そう心から思える日がはやく訪れますように。

4月14日の記録

以下の記事は4月15日の夕方くらいに、なんとか落ち着いたところで下書きしていたもの。まだこのときは今でいう「前震」を経験しただけだったので、「ちょっと大きめの地震が来た!びっくりした!」という状態。長文を書く心の余裕はあった。
敢えて書き直しはせずに、このまま当時の記録として公開します。


いつかはくるかもしれない、とは何となく感じていたけど、その「いつか」がとうとうきてしまった。
こんなに大きな揺れは初めてで、いちばんひどいところでは震度7くらいだったらしいけどうちはおそらく5か6くらいか?正確にはわからない。そのときはちょうどトイレに入っていて、小さな揺れから「あっ、地震だ…」と思っていたらだんだん大きくなっていって、しかも長くて、2階から何かが割れる音が聞こえてこれはやばいんじゃないかと思った。恐怖よりも「なんかいつもよりも大きめのやばそうな地震が起こった」という認識以外何も感じなかった。下半身剥き出しで。とりあえず用を済ませて、2階に上がって(うちはキッチンとリビングが2階にある)細々と大事に集めている器を確認した。器はすべて無事だった。割れたのは空のワインボトルと焼き物のオブジェだけだった。その後の余震も含め、今のところうちの被害はそれだけ。
家族や友人やTwitterのフォロワーさんから安否を気遣うメッセージをもらった。とてもありがたかった。中には何年も連絡をとっていなかった友人もいて、こんなきっかけだけど交流が復活したのがとても嬉しかった。
ただでさえ物が多すぎて、地震が原因なのかもともとなのかわからないくらい部屋の中が雑然としていて、この機会に必要じゃないもの、大した思い入れのないものはすべて処分しようと思った。以前からそうしようと思ってはいても、テスト勉強は一夜漬けタイプなのでこういうことでも起こらないとなかなか本気にならない。悪い癖。
今回は被害が最小限で済んだけれど、これから先何が起こるかわからない。だってほんの1秒前まで大きな地震が起きるなんて思いもしなかった。いざというときの備えは大事。あちこちで災害が起きるたびに言われていることで頭ではわかっていてもなかなか行動には起こせないもの。だからこの災難をいい機会だと思うことにする。